精進と修行

映画飲酒ピアスホラーオカルトエログロナンセンスバンド活動くまモンが生き甲斐の熊本市中央区出身都内在住のグラフィックデザイナー今年は年女23歳でぇ~す

twitterが死んでいる

通信制限は解除されたが、twitterは死んでいるようだ DDOSで落ちたか

 

今日は授業前に下北沢でオシャランチ

課題製作の素材撮りと言えばそうなんだけど、クラスメイトの女の子と先生とごはん楽しかったな

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下北、定期圏内なのに余程用事が無いと降りないの、勿体無いよね

折角良いカフェ教えて貰ったし、定期をもっと有効に活用していかなければ。下北、ライブハウス以来かも。

 

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明日明後日、渋谷音楽祭ってイベントが渋谷一帯で行われるそうで、我らが軽音部も展示のみながらこっそり参加することになっています。校内展示でも一応イベント絡み。物販とかもやってて、わたしは日曜日の昼から店番やることになってるので、遊びに来てくれる人をまったり待ちます。

 

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夜は俺流食べてきた。最近俺流行きたみが酷かったからたまたま先輩にお声掛け戴けたのは奇跡としか。御馳走になったから自分は後輩に返すかまだまだ軽音に貢献するかして返していかなきゃなぁ。

最近油っぽいものがだめになった。一時だろうけど。さっぱりさらっとした優しい食べ物がたべたい。

【子宮に沈める】観ました

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ずっと気になっていた邦画【子宮に沈める】観ました。フィルマークスにも映画ドットコムにもレヴュー書いたんだけど折角だしブログにも感想メモ。

 

16年26本目。

ずっと観たかった社会派フィクション。

家庭という密室で孤独感を感じ精神的に追い詰められた母親は愛する無垢な子供たちすらをも追い詰めてしまう。
精神的にパンクしてしまった母親は新たな世界を求めて家庭を脱し、母から女になり戻らなくなるのだが、取り残された子供たちはその密室でどう過ごしているのか?をまじまじと直視させられる。そんなもの見せつけられなくても少し考えれば分かることなんだけど、分からない親が少なからず存在するから、いまも悲惨で悲しいニュースは根絶されていない。。。


カメラワークはほぼ低く、ワンカットがとて積もなく長く、心理描写も殆ど見られないから、ぱっと見よくわからない描写も多い(想像しなければならない)(画面内に収まりきれてなかったりね)のだけどそれはたぶん子供たちの心情。子供たちはまだ小さく弟くんは赤ん坊くらいだから、大人の世界なんて知らないしわからない。

どうしてお母さんは帰ってこないんだろう?疑うことも知らずただただ無垢な心で大好きなお母さんを待ち続ける。
待ち続け待ち続け、やっとお母さんが帰って来たと思ったら。。。

 

映画として面白いかどうかは別の話になるかも知れないが、モキュメンタリー?としては非常に面白い作品だった。

子供たちの演技が本当に上手で撮影風景が非常に気になる。気になるのは撮影風景だけで、元ネタとなった実在する育児放棄事件の風景は想像したくもない。映画として創られたものなんかよりもずっと想像を絶する世界なんだろうと考えると、泣きたくなる。やるせない。ニュースで観たって悔しくなるが、映画として、動画として観ることでより一層心に迫ってきて握り潰されそうだ。

 

わたしは一般的な理想の家庭のかたちに産まれたわけではないかも知れないけれど、それでも愛する家族、そして愛してくれる家族に恵まれたから、ここまで生きて来れた。いつだって心にそれを留めているけれど、これを観て再認識。
わたしもきっと母のような母に成りたいと思うし、本作に登場する母には同情も軽蔑もする。複雑な気持ち。
どうしたらこのような悲惨な状況を逃れられるの?本作母はどうしたら良かったの?色々逃げ道はあったはずなのに、逃げられない状況でもあったのだとしたら、どうすることも思い浮かばなくて、とても歯痒くて悲しい気持ちになった。
鑑賞後の絶望感、カタルシスが凄い。

皆観て!お勧めだよ!と勧められる作品ではないかも知れないけれど、わたしは母親になる前にこの作品を観ることが出来て良かったと思う。

 

邦画には疎いので知らなかったんだけど、監督と脚本の緒方貴臣氏はほかにも気になる映画を撮っているみたい。【終わらない青】【体温】あたり気になる。これを機に邦画嫌いを克服できないかな(笑)。

最近の映画事情について

https://twitter.com/wammy4/status/787967747011416064

 

遂に

フィルマークス https://filmarks.com/pc/wammy4

でちまちま書いていた映画のレヴューを

映画ドットコム http://eiga.com/mypage/279112/

に移行させる作業が終わりました。数としては260本くらい?でもしかしたら大したことないのかも知れないけれど、なかなか面倒だった。

 

今後はどちらも同時更新していきたい。

丁度カラオケのジョイサウンドとダムのように、フィルマークスと映画ドットコムにもそれぞれあったりなかったりする作品があるんだよね〜。あとは機能的には特に変わらない。映画ドットコムのほうが映画関連ニュースに強い印象で、フィルマークスはスマホからのUIが見やすい印象。

どうせならブログにも感想まとめていきたいと思うけどそれもちょいと手間がかかるから、ブログに関しては書きたいものを書きたいときに移行していけばいっかな。

 

軽音サークルの部長業が今月頭に終わり、まだまだ下の代に教えることが色々あるとはいえ、ひとまず肩の荷が降りたので、精神的余裕と時間的余裕がだいぶ増えました。本業(デザイン校生)はもちろん、趣味にも興じていきたい。

 

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直近で映画を観たのは7/30。

熊本時代からあこがれだったヒューマントラストシネマ渋谷でアンフレンデッド観てきた。

一人称視点で描かれる怪奇現象系ホラー映画なんだけど、スクリーンいっぱいにMacbookの画面が広がりまるで自分がMacbookを操作して恐ろしい出来事を体験しているような気持ちになれるアイデア勝利の作品って感じ。

SNS好きのホラー好きのMacbook使いであるわたしにはど直球ストライク。公開日に観に行って正解だった〜。

 

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あと、きょう映像の授業で大好きな【第9地区】の前身である短編フィルム【アライブインヨハネスブルグ】を観た。

特に何の説明も無く垂れ流されていたのを観ていたらそれだった。

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5分程度のショートムービーなんだけど、第9地区大好きなわたしは観ながら唸るばかりだった、、。第9地区、定期的に観たくなる。モンスターやクリーチャー映画はそんなに好まないのだけど、第9地区が面白いのはそこじゃなくてストーリーや表現方法だと思っているので(アバターが物凄く流行ったけど、第9地区は汚いアバターと例えられていたのを読んだことがあります)、もっともっともっと評価されるべきよ。

最後の1ヶ月

はあ〜〜ん ひさびさに忙しい いや帰省ちょっとまえも結構忙しかったけど やっぱまた忙しい

部長としてもラストスパートやし

バイトもまた色々ごたついてきたし

学生としても審査時期やし

バンドもまたつめつめる時期やし

はあ〜〜〜〜 お金も時間も精神もたりまへん

ま〜〜〜〜こんくらいがええのかもな な〜んにもない時期をおもいだせば こんくらいてんやわんやしとったほうがええのかもな〜〜

は〜〜 いろいろなベクトルで考え事しとるから 脳味噌がいくつあっても足りんわな 忙しいいうても ひとつのことだけ忙しかったらええんやけど いろいろなベクトルで忙しいとなると

う〜〜ん 女性は一気に複数のことできる人間って聞いとったけどな。こやんところだけ男性脳なんかな〜。

また、脳内を整理するためにブログを書く

ブログを書こうとする時期って、大概色々ごたついとるときだといま気付いた。すなわちこのブログは、だれのためでもない自分の脳内のアウトプット・ゴミ処理場

何も考えずに思ったことだけを吐き捨ててるだけだ

いわばオナニー公開場だね!あら恥しい。

G/B

一旦、やめよう

考えるのをやめよう

考えて考えて考え込むの、きらいじゃないけど、もう疲れてしまった。どうせ考えなくても身体を動かさねばならないタスクは迫ってくるのだから、考えたって仕方が無い

一旦、難しく考えるのをやめよう

所詮もうわたしはその程度の人間だよ それ以上も以下も無いよ

修行にも限界を感じてきた

何を恐れて泣いているの

何が悲しくて泣いているの

夜になって急に悲観的、というか夜になると私は毎日のようにほとんどの場合悲観的になるような気がする、(人間みんな少しくらい夜はセンチメンタリストになってもいいんじゃないかなと思う)、けれど今夜の私は非常に面倒臭い

自分で自分をコントロールできないというか何が自分の感情をここまで突き動かしているのかわからない。今夜は特殊だ、慰めて欲しいわけでも誰かにそばに居てほしいわけでもないし かと言って何か言葉も要らないのか?というとそうでもない

 

言葉が欲しいのか 温もりが欲しいのか わからないけれど自分にとって一番必要なのは人間の存在なのだと思う、たとえば何の理由もなく連絡を取る人間だったり、ただいまと言って自宅に戻ったときに感じるそこにあったはずの人間のにおいだったり、別にそこに直接人間と触れ合う必要はなくて、そこに人間を感じられれば私はそれで良い気がする。

それは別にどんな存在でも良くて、親でも良いし、恋人でも良いし、気のおけない友人でも良い。誰でも良いから!と表現してしまうと阿婆擦れだと言われてしまいそうだれどそういう事でもなくて、う〜んとにかく私はこの魔都の瘴気に曝されたとでも表現しようか、どうしたって、もうね、自分の肌に合わないんだと思う、東京が。

 

精神を修行するために19や20そこそこで親元を離れ荒波に揉まれるためにここまでへばりついて来たけれど、そろそろ色々なことに気付き過ぎてしまったかも知れない、どんだけいきがっていたって、自分は所詮ここまでなのではないかと。自分はいつまでも“このへん”で妥協できる人間なのではないかと、ここ数時間で気付いてしまっているのかも知れない。

そんなことないよ人間の可能性は〜〜とか言おうと思えばいくらでも援護できるんだろうけど。「行かないでくれヨォ〜」とわたしが発した一言それで自分の限界を、自分が発した言葉ひとつで自分の限界に気づいてしまったのかも知れない

 

ああ、わかんないや。自分の限界って、なんだそりゃあ。そんなもん、生まれた時点できまっているのだから今更何悲観してくれてんだ。どう悲観したって変わりはしないわ。