精進と修行

映画と音楽と飲酒とエログロナンセンスが生き甲斐の熊本市中央区出身夢見がち21歳でーーーーーーす。たまにはクリエイティヴに生きてみたいですねーーーーーー。意味わかんねーーーよ死ねばーーーーーーか。

わたしたち人間は地球という生命体に寄生する微生物

「人類が哲学的ゾンビである」という違いしかない、物理的に全く同じパラレルワールドがあるとする。そこにクオリアを感じる人間はいない(ただし「私はクオリアを感じる」という発言自体はする)。

二つの世界ではどんな現象も全く同じ形・タイミングで発生し全く同じ結果を生むので科学的な差異はない。ならば「この文を読んでいる自分」がクオリアを感じている以上、非科学的な存在を受け入れざるを得ない。

宇宙の無限階層理論とかまばたき一回の間の泡沫の夢とか見ただけですっかり頭痛くなってきた。広所恐怖症だし知識も何も無いちっぽけな十代だから、考えれば考えるほど恐ろしくなってくる。

広いものや大きいものが個人的にはこわいから、不可知非存在仮説ってのもこわい。自分が見えてない領域、つまり背後とかは存在してない虚空で振り向いて認識した瞬間に存在し 逆にそれまで見ていた前方は消失する。考えるだけで怖いけれど一度は考え至ると思う ……

じゃあなに?振り向いたときにもし世界が処理落ちして、今の脳じゃ想像も出来ない様な世界が広がっていたとしたら、わたしはどう反応するんだろう?漫画とかじゃフツーのティーンが非現実を目にしても「うわぁ!」で済んでるけれど、実際脳を現実が追越したらどうなるかなんて想像も付かないよ ……

視覚から入ってきた映像を脳が認識するまで0.2秒かかる→つまり人間は常に過去の世界のみしか認識出来無い→物が発した光が目に届く迄にも時間がかかる→人間が見ている物は距離÷光速の時間分だけ過去のもの→集合写真も一列目の人と二列目の人では写った時間は同時ではない☞うわぁ気持ち悪い!

原子を拡大してみていくとそこには宇宙が広がっている、実は自分だけが被験者で周りの世界はみんなグルの観測者、この世界は一秒ごとに2倍の大きさに膨張しているがすべてのものが同時に2倍の大きさに膨張しているので気付かない☞うわぁ気持ち悪い!こわい!

!いまWiki読んでたらオーグスチンの容赦のないエレクトロニクス化の法則って西暦2015年のことを書いてるみたいですね。西暦2015年以降は航空機墜落事故はなくなる。また離陸することもなくなる。なぜならばエレクトロニクス(部品)が全重量の100%を占めるからである。

イカはその脳に対し処理しきれないほどの視覚を有しており、更に世界中ありとあるゆる海に存在しているため地球調査のための端末なのではないかと言われている

怖いからってその人間を避けるのはあまり良いことだとは思わないけれど、経験からうまれた恐怖という認識はどうしたってポジティヴに解釈するのは難しい …。正々堂々と生活出来たら良いのだけれど、どうしても自分の豆腐メンタルには呆れてしょうがない。そればかり言い訳にする自分も不甲斐無い。

自分に良くしてくれた人間を恐ろしいと思うのは、どれだけ わたしはポジティヴに生きるぞ!と思い込もうったって、自分がそれ相応の人物でないと深層的に何処か思っているところが理由なのだと思う ……。有難いんだけど、あまり深入りし過ぎるのも怖いなと思うし、深く狭くと浅く広くは使い分けたい

いつか本当の意味でお世話になった人とか良くしてくれた人に頭下げて挨拶なんて出来る日がくるんだろうか?どんなにありがてぇと思っても結局自分の出来無さを思い出して申し訳無くなってその人から離れたくなるよ、親とかは結局縁でも切らない限り関係の根絶は無理だけど他人ならすぐ離れられる

人間と同等の学習能力、感情があるロボットは生きていると言える?ってよく議題にあがるけれど生きているの定義が明確でも何となくでも明示されていないと何とも言えない。結局哲学的ゾンビだかの話に戻っちゃうけれど自分以外の人間が人間で尚且つ生きているなんて確証は無いわけで、それは自分も …

ボードで人生ゲームをひとり二役だか三役だかしてやりたい衝動に駆られてるのは早朝観たthe middleのせい。ところで友人と人生ゲームやるときは率先して銀行係りやりたいタイプです、両替めっちゃしたい。結婚は誰より先にしたい、子どもはたくさん欲しい、でも最後にゴールしたい。人生か。

実は世界が5分前に始まったのかも知れない、って仮説もこわいけれど、たまに自分が産まれる前 具体的に言えば現在から19年前の世界のことを想像すると気持ち悪くなります。写真なり思い出話なりで色々聞くけれどぼんやりとしか想像が付かないし、本当に存在するかも怪しくて、考えるのがこわいです

そしてもし自分に子供が出来て孫が出来たとして、自分が祖母になって死んだら その孫の子は私のことを(直接的には)知らずに生きてゆくという当り前の事実がこわい。私の子なのに私を知らずに生きていくなんて寂し過ぎる。写真や動画で知っておいて欲しいというわけではないからどうにも出来無い問題