精進と修行

映画飲酒ピアスホラーオカルトエログロナンセンスバンド活動くまモンが生き甲斐の熊本市中央区出身都内在住のグラフィックデザイナー今年は年女23歳でぇ~す

修行にも限界を感じてきた

何を恐れて泣いているの

何が悲しくて泣いているの

夜になって急に悲観的、というか夜になると私は毎日のようにほとんどの場合悲観的になるような気がする、(人間みんな少しくらい夜はセンチメンタリストになってもいいんじゃないかなと思う)、けれど今夜の私は非常に面倒臭い

自分で自分をコントロールできないというか何が自分の感情をここまで突き動かしているのかわからない。今夜は特殊だ、慰めて欲しいわけでも誰かにそばに居てほしいわけでもないし かと言って何か言葉も要らないのか?というとそうでもない

 

言葉が欲しいのか 温もりが欲しいのか わからないけれど自分にとって一番必要なのは人間の存在なのだと思う、たとえば何の理由もなく連絡を取る人間だったり、ただいまと言って自宅に戻ったときに感じるそこにあったはずの人間のにおいだったり、別にそこに直接人間と触れ合う必要はなくて、そこに人間を感じられれば私はそれで良い気がする。

それは別にどんな存在でも良くて、親でも良いし、恋人でも良いし、気のおけない友人でも良い。誰でも良いから!と表現してしまうと阿婆擦れだと言われてしまいそうだれどそういう事でもなくて、う〜んとにかく私はこの魔都の瘴気に曝されたとでも表現しようか、どうしたって、もうね、自分の肌に合わないんだと思う、東京が。

 

精神を修行するために19や20そこそこで親元を離れ荒波に揉まれるためにここまでへばりついて来たけれど、そろそろ色々なことに気付き過ぎてしまったかも知れない、どんだけいきがっていたって、自分は所詮ここまでなのではないかと。自分はいつまでも“このへん”で妥協できる人間なのではないかと、ここ数時間で気付いてしまっているのかも知れない。

そんなことないよ人間の可能性は〜〜とか言おうと思えばいくらでも援護できるんだろうけど。「行かないでくれヨォ〜」とわたしが発した一言それで自分の限界を、自分が発した言葉ひとつで自分の限界に気づいてしまったのかも知れない

 

ああ、わかんないや。自分の限界って、なんだそりゃあ。そんなもん、生まれた時点できまっているのだから今更何悲観してくれてんだ。どう悲観したって変わりはしないわ。