神の敷いたレール嫌いじゃない
皆それぞれ恋愛、と言うかそもそもの人間関係、対人関係にトラウマってあると思うんだけど私は「愛されているかどうか不安になってしまう」のが過去の経験から来たトラウマだと思い込んでしまっていて。
友達に「友達だよ」と言われても、恋人に「好きだよ」と言われても本心から言っているのか信用出来なくて、申し訳ないけど話半分でいつも聞いてた。
地元でずっと仲良くしてくれてる子なんかは結構信用してるけど、東京に出てきてから知り合った人たちなんかは、本当に好いていてくれてるのか、愛してくれてるのか不安になるところは沢山あった。
過去に付き合った人たちは「大事な時に「好き」という言葉を取っておく」人が多くて、男の人だしそれが一般的なのかなと思ってたけど、今の恋人はいつでもどんな時も、最初は鬱陶しいと思ってしまうくらいに(笑)好きすき好きすき煩い子でね、少しずつ私の自己肯定感も上がっていったし、私にしては珍しく不安定になることも少なくなっていったしとても感謝してるんだけど、でもやっぱり心のどこかで、私なんて、私なんかを、って、多分自分の自信が無いから相手のことも信用出来てなくて、心のどこかで、やっぱり不安になるときはまだあった。
恐らく、そう言う考え方をすれば、今後嫌われちゃった時に自分を守ることが出来るから。そうだよね、やっぱり私じゃダメだったんだよね、そんなこと最初からわかってたじゃないか、って自分を慰めることが出来るから、言わば防御壁みたいな自虐だった。
「彼のことは信用していますよ、だって私愛されてるもん!」って最近は言うようになったけど、彼のおかげで半分本心でもあったし、私が私に対する不安を皮肉めかして言っているところもあった。彼には本当に申し訳ないけどね。
ただ、今回の件があって、彼自身とても大変な時に、きっと心身ともに疲れていて朦朧としているだろうぐらいの時に、私の誕生日や記念日を具体的に出してくれて、そして声を聞いて、意識的だろうが無意識的だろうが気を遣ってくれたことで心から確信した、あ、私、愛されてたんだって。自分で言うのも気恥ずかしいような気がしないでもないけど、でも私愛されてたんだと思う。
一点の曇りもなく、信用出来るようになった。
今回の件は、全くと言っていいほど良い出来事ではなくて、そりゃ出来るなら起きないなら起きないが一番良かったとしか言いようがないが、今この瞬間に起きたということは、何かしらの意味があったのではないだろうか、って私は思っちゃってる。彼は怒るかも知れないけどね、ごめんね、でも私今、前向きに考えないとやってられないんだわ。
彼の気持ちを確かめることや、初めてお母様やご友人と繋がる機会があったこと、クソ崇高なお神様はしょうもない形で我々に試練を与えやがったけれど、まぁこれを二人で乗り越えることが出来たら、きっとものすごく、パートナーとして人間として成長出来るんだろうなとは思うし、
私は運命には抗えないと思ってます 今ここにいるのも、恋人と付き合うことも友人と出会い交流を持つのも、女としてこの家系に生まれてきたことも、全ては神が敷いたレールの上でしかなく、何なら全て神が想像した物語かなんかを再現しているだけとも思ってます
— 𝐚𝐲𝐚𝐲𝐚 (@wammy4) 2019年10月10日
だから上手くいくときは上手くいくし死ぬときは死ぬ 抗えません 明日には死ぬって物語だったらどう抗ったって明日には死ぬし 明日は死なないんだったらどんなにツイてなくても明日は死にません 言わば無敵 だから私は抗えないことに関しては何も心配しない 何も怖くない 変えられないもん
— 𝐚𝐲𝐚𝐲𝐚 (@wammy4) 2019年10月10日
最近こんなこと言ったからさ
きっと今の現状には何かしら意味があって、私も彼も、これを読んでいるあなたも、今日死ぬって運命じゃないってことは今日死なない、無敵の人間なんだろう
「親の敷いたレールを生きる人生なんて!」とか聞いたことあるけど、親は所詮親、ただの人間でしかないしレールなんか敷いたらクソ腹たつが、神が敷いたなら、もうしょうがないのだ
「大事な時に「好き」という言葉を取っておく」
これは本当に良くない。なんのメリットも感じない。好き好きうるさいし、鬱陶しい、なんて冗談で言うくらいなら良いだろうが、心からそう思っているなら本当にやめた方が良い。好きなときに好きと言って何がおかしいんだろう?何を恥ずかしがっているんだろう?好きな人に好きと伝えて、時には手を繋いで街を歩いたり、唇を重ねたり、誰にも言えない自分の気持ちを吐露したり、それ以上に恥ずかしいことなんて沢山あるのに、ただ日常生活で「好き」と言うことに何が恥ずかしいことがあるんだろう?今ならそう思う。
今私は何も恥ずかしくないし、躊躇うこともない。
「私は彼に愛されている」と自信を持つことに。
「彼のことが、君のことが好き」と発言することに。
今は凄く、自信がある。