精進と修行

映画飲酒ピアスホラーオカルトエログロナンセンスバンド活動くまモンが生き甲斐の熊本市中央区出身都内在住のグラフィックデザイナー今年は年女23歳でぇ~す

書く幸せと喋る幸せの違い

ものを書くというのは幸せなことだ
ブログでもTwitterでもメールでも手紙でもなんだってそう、言葉で、直接会って話すことの素晴らしさだってわたしは19年分知っているつもりだけれど、それとは別の素晴らしさがある。
わたしは自分で思うには、喋るのが好きなわりに人見知りで口下手でシャイ気があると自己評価しているから、本音を他人に話す気になれない。どうでも良いことほど口からぺらぺらと出てくるが、本当に思っていることや考えていることほど喉の下から出て来ない。話そう、話そうと頭では考えられても、脳が心が身体を動かしてくれないのだ。自分の事を口であれこれ話そうと思わない。だから手帳とかブログとかを好むのだと思う。ぺらぺら自由に連ねられるから。自分を取り繕わないで良いから。
 
しかし、本当の自分はわからない。口からぺらぺら出る適当な自分が自分なのだろうか。文字を書いたり入力したりするやけに中二病臭く意味深長な自分が自分なのだろうか。
どちらも自分なのだろうが、ふらふら掴めない自分という存在が気持ち悪くて嫌気がさす。
所詮自分の鬱々とした感情も思春期女特有の病状だと思って治療を放置していたけれど、思春期っていつまでだっけ。19にもなってこんなにネガティヴな自分も自分。
メンヘラメンヘラと表現する人間もいるけれど、基本がネガティヴだから病んでるとかいうわけではなく、これが通常営業だから特別なこととは思わない。病んでいる、落ち込んでいるとは思わない。
ただ、性格を改善出来たら、同じ人生でもどれだけ幸せなのだろうかと考えることはある。
 
せめて、自分で考えていることくらい、自分の思いくらい、口から堂々と、胸を張って表現することが出来たら良いと思う。
ネットの自分も、リアルな自分も自分だから、同じこと。