精進と修行

映画飲酒ピアスホラーオカルトエログロナンセンスバンド活動くまモンが生き甲斐の熊本市中央区出身都内在住のグラフィックデザイナー今年は年女23歳でぇ~す

精神と時間の折り合いを付けるのが上手になったかも知れない

久々に何も予定の無い日曜日を過ごした

昨日は疲れ果てて帰宅後即化粧落としたのちに革ジャンもポーチも脱がないまま床で寝落ちていた

寒かった 寒い寒いと言いながら朝起きて部屋着に着替えてもう一度昼まで寝直した

起きてから映画を観てゆったり支度し下北沢を散策

別に部長業がそんなに重荷だった訳では無いが、本当に肩の荷は降りたようで最近自分の時間を取るのが上手になった気がする。バイト変えたことも原因の一つだと思うけど。

散歩がてら適当に目に付いたお店に入って軽く買い物、空腹を満たしたりカフェで一服したり、そしてまた軽く歩く。映画館に行くつもりだったけれど、これだという作品も無くて渋谷までは出なかった。

 

最近の自分は怖いほどポジティヴで、周りの人間の支えもひしひしと感じる。(今までも周りの人間には助けられてきたのは間違い無いんだけど、それでもわたしはずっと悲観的なままだった)

まだまだ正当な生き方をしているとは思えないけれど、確かに自分と向き合うのが上手くなった気がする。色々自分の気持ちの整理も出来たし、上手く自分を見ることが出来ている気がする。気がするだけ。

視野を広く持て。周りには言うものの結局自分も視野が狭かったのだろうか。21歳目前にして少し成長を、自分でも感じている。

くさめが止まらない

じわじわっと湧いてきた感情が昨日爆発しそうになって、そこから考え過ぎて、今朝は厭な夢を見た、、。

現実にありそうな、でも夢だから、って自分を励ましているけれどあながち夢だけの話とも言えずに居て何とも心がむず痒い。

このところずっと心が痒い。自分の生活が色々一区切り着いて楽になったと思ったら、今度は小さい小さい微生物が心の中をうようよしている感覚。歯痒いとも言うか。頭が痒いなら搔くし、首が痒いなら搔くけれど、歯も心も痒いときはどこを搔いたって痒いままだ(そもそも心なんて何処にあるのか判らないけど。)。

 

どうして夢って現実に無い記憶の創造物でしかないのに、見たら見たで現実味を感じちゃうんだろうなぁ。「なんかありそう〜」「もしかして本当ちゃうんか?」って思っちゃうんだけど。いやいや、わたしの脳が勝手に創り出した二次創作物でしかないだろうが(笑)

愛する罪には愛されない罰

折角色々上手くいってるとポジティヴになってきたこの頃だったけども、今朝 元バイト先(知り合いの伝手で入り込んだ個人塾)から呼び出しを食らって、内容が内容だったので重い足を引き摺って行ってみたら、大目玉。

行かなければ良かった。行くべきじゃなかった。色々自分の中のバランスが壊れてしまったというか、自分の精神状態が崩れるのを全て外的要因だと言うのも子供だなと思うのだけれど、どう考えても行くべきじゃなかったよなぁ。

色々と肩の荷が降りてさぁこれからだという時に、どうしてこうも精神的弊害が生まれてしまうのだろうかというかなんか一言で言うなら状況が面倒臭いというかこんなことを愚痴愚痴溜め込む自分が面倒臭いのだけどね。

新しいバイトを始めた時くらいに少しずつFOしていくつもりだったけど、FOどころかCOするべきだったのかも知れないなぁ。会えなくなることが寂しい相手もいるけれど、上の人があんなんならもう一緒に楽しく仕事、なんて出来無いし、自分にとってプラスにならない世界なんてこっちから御断りだ、、。

 

自分の身を守れるのは自分しかいない

自分の世界、人生は自分が生きるしかない

 

当たり前だ

twitterが死んでいる

通信制限は解除されたが、twitterは死んでいるようだ DDOSで落ちたか

 

今日は授業前に下北沢でオシャランチ

課題製作の素材撮りと言えばそうなんだけど、クラスメイトの女の子と先生とごはん楽しかったな

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下北、定期圏内なのに余程用事が無いと降りないの、勿体無いよね

折角良いカフェ教えて貰ったし、定期をもっと有効に活用していかなければ。下北、ライブハウス以来かも。

 

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明日明後日、渋谷音楽祭ってイベントが渋谷一帯で行われるそうで、我らが軽音部も展示のみながらこっそり参加することになっています。校内展示でも一応イベント絡み。物販とかもやってて、わたしは日曜日の昼から店番やることになってるので、遊びに来てくれる人をまったり待ちます。

 

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夜は俺流食べてきた。最近俺流行きたみが酷かったからたまたま先輩にお声掛け戴けたのは奇跡としか。御馳走になったから自分は後輩に返すかまだまだ軽音に貢献するかして返していかなきゃなぁ。

最近油っぽいものがだめになった。一時だろうけど。さっぱりさらっとした優しい食べ物がたべたい。

【子宮に沈める】観ました

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ずっと気になっていた邦画【子宮に沈める】観ました。フィルマークスにも映画ドットコムにもレヴュー書いたんだけど折角だしブログにも感想メモ。

 

16年26本目。

ずっと観たかった社会派フィクション。

家庭という密室で孤独感を感じ精神的に追い詰められた母親は愛する無垢な子供たちすらをも追い詰めてしまう。
精神的にパンクしてしまった母親は新たな世界を求めて家庭を脱し、母から女になり戻らなくなるのだが、取り残された子供たちはその密室でどう過ごしているのか?をまじまじと直視させられる。そんなもの見せつけられなくても少し考えれば分かることなんだけど、分からない親が少なからず存在するから、いまも悲惨で悲しいニュースは根絶されていない。。。


カメラワークはほぼ低く、ワンカットがとて積もなく長く、心理描写も殆ど見られないから、ぱっと見よくわからない描写も多い(想像しなければならない)(画面内に収まりきれてなかったりね)のだけどそれはたぶん子供たちの心情。子供たちはまだ小さく弟くんは赤ん坊くらいだから、大人の世界なんて知らないしわからない。

どうしてお母さんは帰ってこないんだろう?疑うことも知らずただただ無垢な心で大好きなお母さんを待ち続ける。
待ち続け待ち続け、やっとお母さんが帰って来たと思ったら。。。

 

映画として面白いかどうかは別の話になるかも知れないが、モキュメンタリー?としては非常に面白い作品だった。

子供たちの演技が本当に上手で撮影風景が非常に気になる。気になるのは撮影風景だけで、元ネタとなった実在する育児放棄事件の風景は想像したくもない。映画として創られたものなんかよりもずっと想像を絶する世界なんだろうと考えると、泣きたくなる。やるせない。ニュースで観たって悔しくなるが、映画として、動画として観ることでより一層心に迫ってきて握り潰されそうだ。

 

わたしは一般的な理想の家庭のかたちに産まれたわけではないかも知れないけれど、それでも愛する家族、そして愛してくれる家族に恵まれたから、ここまで生きて来れた。いつだって心にそれを留めているけれど、これを観て再認識。
わたしもきっと母のような母に成りたいと思うし、本作に登場する母には同情も軽蔑もする。複雑な気持ち。
どうしたらこのような悲惨な状況を逃れられるの?本作母はどうしたら良かったの?色々逃げ道はあったはずなのに、逃げられない状況でもあったのだとしたら、どうすることも思い浮かばなくて、とても歯痒くて悲しい気持ちになった。
鑑賞後の絶望感、カタルシスが凄い。

皆観て!お勧めだよ!と勧められる作品ではないかも知れないけれど、わたしは母親になる前にこの作品を観ることが出来て良かったと思う。

 

邦画には疎いので知らなかったんだけど、監督と脚本の緒方貴臣氏はほかにも気になる映画を撮っているみたい。【終わらない青】【体温】あたり気になる。これを機に邦画嫌いを克服できないかな(笑)。